五大陸でゴールを挙げた男の人生に終わりはない。
FIFAワールドカップで3大会連続ゴール、アジア最多得点者の記録を持つ本田圭佑は、プロサッカー選手であり、カンボジア代表の監督であり、クラブオーナーである。
国連財閥の「グローバル・アドボケイト・フォー・ユース」に任命されたり、アメリカのマサチューセッツ工科大学メディアラボの特別研究員に就任したりと活動の場を広げ、今では複数のサッカークラブをマネジメントする指導家、投資家、慈善事業者と複数の肩書きを持っています。
本当に信じられません。
これら全てをたった一人の人間が行っているのです。
今年で34歳を迎えるアジアのスターは決して平凡ではありません。
彼の人生で多くの目標・夢を実現してきました。
プロ通算100得点
3月16日、ボタフォゴFRに移籍後初の試合で、本田はペナルティゴールを難なく叩き込みます。
試合は1-1で引き分けたものの、この日は通算100ゴールと節目の日になりました。
その約1ヶ月前の2月7日。
リオデジャネイロの国際空港に到着した本田は、約2,000人のボタフォゴサポーターから温かく迎えられました。
アジアの選手が地球の裏側で、ここまで人気になるとは誰が想像したでしょうか。
その期待に応えるよう、ブラジルの地で大きな偉業を達成。
さらに世界の五大陸でゴールを記録した選手となりました。
ヨーロッパ:VVVフェロン(オランダ)
北中米:パチューカ(メキシコ)
オセアニア:メルボルン・ビクトリー(オーストラリア)
南米:ボタフォゴ(ブラジル)
輝かしいキャリア
本田の素晴らしい人生はサッカーから始まり、今もなお愛しています。
小学生のときの「将来の夢」は、世界一のサッカー選手になること。
一歩ずつ階段を駆け上がり、22歳でオリンピックに出場。
その後もアジアカップ優勝、ワールドカップの3大会連続出場など、代表では数々の功績を残しました。
ワールドカップで決めた計4ゴールは、アジア人最多の記録として未だに破られていません。
クラブでの経歴を見ると、2014年1月に加入したセリエAのACミランがハイライトでしょう。
この世界の強豪で10番を背負ったのは、ルート・フリット、ボバン、ルイ・コスタ、セードルフとレジェンドばかり。
そこにアジアのプレイヤーが名を刻んだのです。
キャリア(優勝など)は他のトップ選手ほど輝かしくはありません。
それでも若き頃からスターになる夢を実現し、クラブ・代表チームに絶大なインパクトを残しました。
子供の将来のために
本田にはまだ夢があります。
それは300校のサッカースクールを立ち上げること。
サッカー界だけでなく、世界中の人々を貧困から救い、これを支援するのがミッションです。
2007年から始まったプロジェクトは世界中に広がりました。
今日も各地で多くの子供が未来のスターを夢見て、ボールを追っています。
2019年にFCバルセロナBに完全移籍した安部裕葵は、本田が立ち上げたサッカースクール出身です。
そこで3年間鍛え上げられ、鹿島アントラーズを経て、ビッグクラブへと渡りました。
本田の夢が次世代に引き継がれたのです。
安倍がアジアのトップスターになる日は、そう遠くないでしょう。
そして、挑戦は終わらない
カンボジア・サッカー連盟は2018年8月12日、本田と2年間の監督兼GM(ゼネラルマネージャー)の契約を結んだことを発表します。
当時はオーストラリアのメルボルン・ビクトリーで活躍していた本田の、次の挑戦先がカンボジアでした。
ただし現役のプロサッカー選手が一国の代表監督になることは、異例中の異例。
世界を驚かせることに、事欠かせません。
今年に入り、また新たなプロジェクトを発表。
東京で新たなサッカークラブ「One Tokyo」を設立しました。
選手 → 代表監督 → クラブオーナー/投資家/経営者
「地球人」としての挑戦はまだまだ続きます。
おそらく、人生に対するこの態度が、成功している秘訣でしょう。
※本記事は下記サイトを元に構成・翻訳しています。
■参考サイト(中国語)
34岁进球就已遍布五大洲,他的足球人生仿佛开挂